T 東洋医学の概要 1 気一元論 2 気のバランスの乱れ−病気−
1. 東洋医学の解剖学・生理学・陰陽五行説 4 「三因」および「未病」の概念と診断学
5 東洋医学を理解する鍵:陰陽虚実 6 東洋医学の診断治療各論
U 病因論と養生論(個人の医学と医者の医学)
2 人の命の始まりと終わりを「気」で説明する−人の生死は気の聚散−
3 気は絶えず流動変化する 4 気の流通をスムースにする四つの技術論
W 東洋医学の古典
X 東洋医学を理解する鍵:虚実陰陽 1 虚実について 2 陰陽について 3 症例提示
\ 参考文献
天地万物をあまねく存在させているところの根元のエネルギーを『気』と呼ぶ。
この『気』が有形の五臓六腑や無形の魂・魄を構成し、ひとつの有機体をなしたものが身体(心身)であり、『気』が身体に宿る事によって生命活動が営まれるのである。
宇宙を構成する『気』と、人体を構成する『気』とは本質的に同一のものであって、宇宙を律する法則(道)によって人体もまた律されている(天人合一)。
東洋医学は、『気』を想定したひとつの生命哲学体系であると言えよう。
T−2 気のバランスの乱れ−病気−(go index)
身体における正常な『気』のバランスの乱れが「病気」である。異常(病態)を知るには、まず正常(生理)を知る必要がある。その上で、どのような原因によってどのような歪みが生じ、どのような現象が引き起こされるのか(病態生理)、どのように対処すれば正常な状態に復帰させられるのかを検討する学問が「医学(治療学)」である。
T−3 東洋医学の解剖学・生理学・陰陽五行説 (go index)
東洋医学では、人体の基本的な構成要素を一般に「気・血・津液」の三つに分類している。また、人体の基本的機能単位として「五臓・六腑・奇恒の腑」、諸臓腑あるいは組織・器官を協調的に機能させる連絡経路として「経絡・三焦」の概念が用いられている。また、人体の協調・平衡関係の説明には「陰陽・五行説」が引用されている。
歴史的に、人体の生理、病理の説明に「陰陽・五行説」という、哲学的概念が応用されて来たことが東洋医学の特徴である。人体という実体のあるものを陰陽・五行という実体のない概念を用いて説明するのであるから、現実に即さない面も生じてくる。
また、基本的な古典である「傷寒論」には五行説は採用されておらず、「黄帝内経」においても説明理論としての五行理論は成立初期の頃の論文には見られない。
歴史的に、確かに東洋医学は陰陽・五行説を骨子として発展してきたものではあるが、人体の生理・病態生理を語る際に、五行説・五行相関の概念が必要不可欠なものなのかどうか、再評価を行うことが今後の課題であろう。
T−4 「三因」および「未病」の概念と診断学 (go index)
疾病を引き起こす誘因となるもの(体質・生活環境:食事・水・空気・社会的環境・心理的状況など)はすべて医学的な評価、治療の対象である。東洋医学の病因論は「三因論−内因・外因・不内外因」として分類整理されている。
「未病を治す」という言葉がよく用いられる。通常、自らは特に異常を感じない状態であっても身体内には既に様々な歪みが生じており(『未病』)これが発現した状態が『疾病』である。「未病」の状態を知るにはそのための方法論が必要である。
東洋医学では、身体のバランスの乱れの状況を知る「診断」の方法論として、古来「四診:望・聞・問・切」が重要視されて来た。「四診」によって得られる情報から、患者の内部でどのような歪みが生じているのかを類推し、対処方法を考えて行くのである。
患者から得た情報によって病態を推理し、病態に応じた治療を行うと言う点では、医学の方法論において洋の東西に区別はないと言ってよいであろう。東洋医学と西洋医学の相違点は、人体の見方や生体情報の処理に、異なった概念を用いていることにある。
T−5 東洋医学を理解する鍵:陰陽虚実 (go index)
東洋医学においては、正常な人体にバランスの乱れが生じ病気となった場合、診断には「虚・実(邪正相争)」及び「陰陽失調」の概念を用い、治療においては「扶正去邪」「陰陽調和」を行うことを大原則としている。
T−6 東洋医学の診断治療各論 (go index)
疾病はその原因や発病のしかたによって様々な病態を呈するが、これらに対応するために、東洋医学では種々の診断治療の方法論が設定されている。これはあたかもコンピューターで情報を処理する際に、情報の種類によって用いるソフトを選択するようなものである。診断の要諦は「虚実・陰陽」であるが、補足概念として表(半表半裏)裏・寒熱・五臓六腑・経絡などの身体の部位区分や病態の概念が加わる。治療原則は「基本八法(汗・下・吐・和・清・温・消・補)」としてまとめられている。治療各論としては、病邪(病気をひきおこす条件)の相違による、「傷寒六経弁証」(寒邪)「衛気営血弁証」「三焦弁証」(温邪)などの弁証(診断と治療の方針を決定すること)体系や、婦人科の「経(月経)・帯(帯下)・胎(妊娠)・産(分娩)」、小児科の「麻・痘・驚(痙攣)・疳(栄養失調)」など、各分野における診断治療各論体系が存在しているのである。
T−7 小結
患者の身体をひとつの小宇宙として、全体のバランスの中で把握するのが東洋医学的方法論であり、その説明概念としてさまざまな特殊な医学用語が用いられるのであるが、病態を考え、病態に応じた対応をするという点では、西洋医学と何ら変わることはない。
東洋医学の独自性・優秀性は用語の特殊性や、文字の難解さ、言葉の醸し出す雰囲気にあるのではない。そのような雰囲気に溺れる事なく、『気』のバランスに留意して全体を見ると言う東洋医学の基本姿勢を認識することが重要であろう。
U 病因論と養生論(個人の医学と医者の医学)(go index)
病因論
:東洋医学では人が病気になる「病因」として以下の三つを挙げる。
表1.病因
┌ 内因 感情。 (内性七情:喜、怒、憂、思、悲、恐、驚)
「病因」├ 外因 外的刺激。(六淫:風、寒、暑、燥、湿、熱(火))
└ 不内外因 生活背景。(飲食不節制、房事過多、毒獣毒虫、金創)
(「三因極一病証方論」より)
これらの病因によって陰陽のバランスが崩れたために疾病が発生するとし、この予防、あるいは治療手段として食養、気功、湯液、針灸が用いられる。ここで注意しておきたいことは、『東洋医学』と言うと現在の日本では一般に湯液(漢方)、針灸がその全てととらえられる節があるが、本来の姿は次のようなものであったと考えられる。
表2.養生と治療
1)食養生と湯液(漢方)治療:
日常の食物を薬として考え、毎日食べて薬効があり、素人判断でも間違いのないものをうまく組み合わせていくこと(食養)が基本であり、非常時、生体環境が破綻したときに湯液を(毒性のあるものも組み合わせて)用いる。
2)気功法と鍼灸治療:
気功法(導引吐納:呼吸法や操体法および瞑想)などで心身の保全をはかり、非常に強い刺激でないと動かないほど歪みが強くなった場合にのみ針灸治療などの強い外的刺激治療を行う。
病気になったときにのみ医者や薬に頼るといったものではなく、常に生体の『気』のバランスを考慮し、一人一人が自分の養生を行い(患者の医学)その手助けとして医者の医学があるのである。日本では「養生」は常識的な「生活の知恵」として伝えられ、次第に忘れられたため、このような本来の東洋医学の姿、全体像が十分には認識把握されていなかったともいえよう。
養生は「個人の医学」である。簡略に述べれば下記のような言葉に集約される。
「未病を治す」 (「聖人は未病を治す」:素問四気調神大論)
「長命は、粗食、正直、日湯、陀羅尼 おりおり御下風あそばさるべし」 (寛永寺 天海上人)
東洋医学的養生には、食(食養生)、息(呼吸法)、動(気功法)、想、全般にわたるトータルケアが要求されるのである。食養生と呼吸法の要点を以下に示す。
表3.食養生と呼吸法
食養生 (一)禁食 体に毒になるものを摂らない。
(二)節食 「腹八分め」 食物を腹にためない。
(三)生食 生きたものを食する。全べてのビタミンを揃える。
(四)全食 丸ごと食する。全べてのミネラルを揃える。
呼吸法 (一)長息 酸素を充分に摂る。
腹式呼吸 (二)留息 肺を丈夫にする。
(「丹田」呼吸)(三)腹息 血を停滞させない。
(四)吐息 全身をくつろがせる。
V 古代中国の生命哲学−道教哲学−について (go index)
東洋医学は自然哲学体系であると述べた。
古来、「痛み」や「病い」にたいして自然発生的に各種の治療が行われ、集団の中で治療を生業とする者が出現し、経験が集積されたことであろう。単なる経験の蓄積が、一定の価値観に従って集大成されたときに初めて医学と呼ぶに値する体系となると考えられる。
「東洋医学」は、この意味において、漢民族の生命哲学に基盤を置く医学体系である。漢民族の価値観、生命観は、儒教・仏教・道教などの影響下にある。これら「儒・仏・道」三教及び「医・武」道は、古代中国においてはいずれも共通の基盤を有する五つの生命哲学の潮流として継承され発展してきたものである。
表4.「儒仏道医武」
儒:健脳 有為の哲学
仏:見性 本性を探る
道:長生 聖(見性)俗(外丹)両面の修行。「性(nature) 命(健康)双修」(仙道)
医:防病 防病、治療、回復、保健、抵抗早老、益寿延年(医の六大目標)
武:大力
(津村喬 講演会より)
本章では老荘思想を中心に古代中国の生命哲学について該略する。人の生命を体と関連して認識するのが老荘の哲学であり、道教の思想である。このような「体の要素の重視」こそが医学を発展させてきた原動力であったであろうことは想像に難くない。以下のような四つの思想的特徴があげらる。(本章は福永光司氏の説による)
V−1 人の命は天から与えられたもの−人の生は天の命−である (go index)
V−2 人の命の始まりと終わりを「気」で説明する。−人の生死は気の聚散−
V−3 気は絶えず流動変化する V−4 気の流通をスムースにする四つの技術論
V−1 人の命は天から与えられたもの-人の生は天の命-である (go index)
「宇宙大自然から自分の生命は生まれて来た」という思想は、死に対するひとつの視点を与える。即ち、生が天から与えられたものであり、自分が宇宙大自然から生まれて来たものである以上、死とは命を天(宇宙大自然の大気の中)にお返しする、生まれる前の自分に還ることにほかならない。
また、宇宙大自然から与えられた生を生きている間は、生をまっとうすること(全生)に全努力を払う必要があり、そのためには精神面だけでなく技術的なものも重視するという点が道教思想の特徴的な点である。
中国では古来、人がこの世に生まれてくるのは、天(上帝・天主・造物主)の命令による。すなわち人間の「いのち」は、天(上帝・天主・造物主)から與(あた)えられたものであるという考え方が一般的であった。たとえば、『荘子』徳充符篇に
「命を天より受く」「天が之(ひと)の形(からだ)を與える」
とあるのがそれである。かくて中国の古典においては、
「万物おのおの其の所を得て、生命は壽長なり」(『戦国策』秦策)
「人の命とする所は生命より宝(たっと)きは莫(な)し」(『北魏書』源賀伝)
など、人の「いのち」が生命と呼ばれるようになる。そして、天から與えられた人の生命は、いわば天の分身であり、したがって個々人の生命は、それぞれに天の生命を自己の内部に宿す、もしくは個々の人間は小宇宙であるという思想を産むに至る。西暦前二世紀、漢の董仲舒(とうちゅうじょ:前176〜前104)の著作とされる『春秋繁露』人副天数篇に
「唯だ人のみ独り能く天地大自然に偶(たぐい)す」
(人間存在は天地大自然のミニ版であり、小宇宙である)
とあるのが、その思想を代表している。
V−2 人の命の始まりと終わりを「気」で説明する-人の生死は気の聚散-
(go
index)
人の命は宇宙の気が個体の中でcondenseされた状態であり、一定の時間がたつと拡散して宇宙の気に還って行くものである、という「気の聚散」の考え方で生命を説明する。このように「気」を命の元素として考え、気散じて死となるという考え方は四世紀頃には普及していたようである。
生きているものを「生きて働くもの」としてとらえる、(「働くものから見るものへ」〔西田〕)秩序だったもの(cosmos)の根底にある無秩序なもの(chaos)をとらえようとする思考方法は、時間と空間をさえ一体のものとしてとらえる度量を持った、茫漠とした、科学的と言うよりは宗教的な色合いの強い文明を発展させることになった。
個々の人間をそれぞれに小宇宙と見る思想は、さらにまた、個々の人間の生命現象を根底から支える呼吸の気息を、宇宙に遍満する大気もしくは『荘子』大宗師篇に言う「天地の一気」と本来的には同質であると考える思想を生む。
宇宙の「大気」もしくは「天地の一気」が凝縮condenseされた形で個々の人間に宿ると、そこに生命が成立する。個々の生命が、この世で五十年なり百年なりの一定期間を過ごすと、個々の人間に宿る凝縮された生気は、その凝縮を解かれて拡散した死気となり、もとの宇宙の大気もしくは天地の一気に還って行くのである。『荘子』知北遊篇には
「人の気は聚(あつ)まれるなり。聚まれば則ち生となり、散ずれば則ち死となる」
とあり、漢の王充(おうじゅう:27〜91)の『論衡』(ろんこう)論死篇に
「人未だ生まれざる時は、元気の中に在り。既に死すれば、元気に復帰す」
などとあるのが、そのような考え方を最も良く代表している。
道教の「道:Tao」とは「変化の流れ」と言う程の意味である。
宇宙の真理は気の流れ、変化であり、気の流れをスムースにすることが命を全うすることにつながる、という哲学が道教の基本思想となっている。『荘子』に
「気は流れて明(めい)に居らず」(はっきりと確認できず)(山木篇)
「変化の流れなり」(天道篇)
とあり、その「道」を上述の「一気」、「元気」と同一に見て、「道は気なり」もしくは「一気なり」とする解釈が、中国の南北朝時代に成立した。そして「道」すなわち「気」もしくは「一気」こそ一切万物の生命と生存の根本原理であり、人間の体内に宿る「気」の流動を塞(ふさ)がないことが、健康を保持し、長壽を実現する秘訣であると説いたのが、四世紀における道教の仙術理論の確立者・葛洪(かっこう:284〜350)である。
「夫れ人は気の中に在り、気は人の中に在り。天地より万物に至るまで、気を須(ま)ちて生ぜざるもの無し。善く気を行(めぐ)らせば、内は以て身を養い、外は以て悪を卻(しりぞ)く」(『抱朴子』至理篇)
「気を行らして懈(おこた)らざれば、以て病まざるべし」(同:雑應篇)
「気を行らせば、或は以て百病を治むべし」(同:釈滞篇)
など、「全生」−生命の保全−における「気」の重要性が強調されている。
V−4 気の流通をスムースにする四つの技術論
(go
index)
生命の保全における気の重要性を強調する葛洪は、『抱朴子』においてさらに人体内の気を活発に流通させるための技術論として四種類の道術を説いている。
(一)吐故納新(とこのうしん):道教独特の呼吸調整法
呼吸調整によって気の流れをスムースにする方法
(二)導引術:道教の特殊な体操
体操によって体を動かして気の流れをスムースにする方法
(三)服薬:植物質の「本草薬」と鉱物質の「石薬」とに大別される
最高の石薬は「金丹」で黄金の不滅性を取り入れようとする発想に基づく
(四)房中術(房内法):「新しい命をより良く産む」方法論が房中術である
「又、宜しく房中の術を知るべし。陰陽の術を知らざれば、屡(しば)しば労損
(疲労と消耗)を爲し、則ち気を行らすことも力を得難し」(至理篇)
「陰陽交わらざれば則ち坐(そぞ)ろに壅閼(ようあつ:閉塞)の病を致す」(釈滞篇)
「此の法は乃ち真人(「道」の体得者)口々に相傳う」(同)
このように、葛洪が『抱朴子』で述べている生命観、保健思想はまさに現在我々が行っているところの東洋医学、漢方医学の源流であると言えよう。
東洋医学の基本的古典として、下記のものが挙げられる。
表5.東洋医学の古典
東洋哲学の根本経典:『易経』−陰陽理論に基づく世界認識−
東洋医学の根本古典:
医学理論 −『黄帝内経』(素問・霊枢)(太素)
1。気一元論 2。整体概念 3。陰陽五行説の医学への応用 4。臓象学説
5。病因・病機・診断・治療の基本原則 6。養生学
薬学理論 −『神農本草経』
1。四気・五味による薬物の性能の概括 2。寒・熱・補・瀉による薬物の働きの説明
3。「君・臣・佐・使」則(処方原則)
臨床医学理論−『傷寒論』『金匱要略』
1。理・法・方・薬の弁証論治体系の確立 2。六経弁証による傷寒治療
3。臓腑弁証による雑病治療 4。三因による病因の分類
(文献6より引用。一部改編)
これら古典に、金・元時代や明・清代および日本の医書などを整理統合した診断、治療、施薬法、施鍼法などの集大成のひとつの型が、現代中国で行われている「中医学」の「弁証論治」と呼ばれる実用医学理論体系である。
『弁証論治は中医学の専売特許であり、日本漢方の方証相対とは相いれないものである。』とする考え方もある。しかし日本においても曲直瀬道三(まなせ・どうさん:16世紀)が広めた医学は中医学同様の理論的枠組みを有したものであった。すなわち、生体内の変化を観察類推し、これに対応した処置(処方とその加減)を行うもので、彼は自らの方法を察証弁治と呼んだ。その後の日本の医家はいずれも多少なりとも曲直瀬流の影響を受けている。すなわち、日本における漢方と言えども本来その姿は中国の伝統的な医学体系の枠を大きく踏み外すものではなかったのである。
日本に導入された理論的医学体系はその後かなりの歴史的変容を辿った。各時代の名医たちはそれぞれ各自の理解した医学概念によってこれを応用してきたのであるが(文献2)、このような体系的な枠組みの中で伝承されて来たものが伝統的東洋医学なのである。
東洋医学において、用いられる用語は古典に記載された一定の概念に基づいて用いられているのであるから、古典的用語を用いる際には、従来用いられて来た概念に基づいて応用されるべきであろう。用語を共通の概念に基づいて用いるのでなければお互いにディスカッションを行う際に、混乱を来すばかりである。
東洋医学が伝統の上に立脚した医学であると言う以上、用語・概念の定義、用法には慎重である必要がある。以下の項ではこのような考え方に従って東洋医学の基本概念である陰陽・虚実について概説する。
「虚実」と「陰陽平衡」は現代医学にも応用できる普遍的な概念である。
1 虚実: 虚実の要点を以下に示す。
表6.虚実
虚:正気の虚(健康維持に必要な機能・物質-正気-の不足)
実:病邪の実(健康を害する邪の存在)
「邪気盛んなれば即ち実、精気奮わざれば即ち虚」 『素問』通評虚實論篇第二十八
「虚するものはこれを補い、実するものはこれを瀉す」『素問・霊枢』頻出
人体を正常に保つ機能・物質の総称を正気(せいき)と呼ぶ。
正気が衰えた状態を虚(正気の虚)と呼ぶ。健康を害するものの総称を病邪と呼ぶ。
病邪の存在している状態を実(病邪の実)と呼ぶ。
疾病は正気の虚のみによっても引き起こされる。正気の虚によって引き起こされる病態を虚証と呼ぶ。虚証の治療は正気を補う補法が原則である。
病邪が存在している状態を実(病邪の実)、病邪の実によって引き起こされた病態を実証とよぶ。病邪はその存在(邪実)のみでは症状を呈さないことがある。病邪に対する生体の反応(闘病反応)によって、病邪の存在が認識される。証(病態)は必ず症候(症状)を伴うというものではないのである。実証には邪を去る瀉法を用いるのが原則である。
正気が人体を正常に保っている限り、人は病気にならない。病邪が存在するためには、まず生体を正常に保つ健康維持システム(正気)の一部が破綻し、病邪が存在できる条件(正気の虚)を形成する必要がある。すなわち、病邪が存在するにはそれに先立つ正気の虚が存在するという虚実挟雑が必要なのである。実証の治療は、病邪を瀉し、同時に虚している正気を補うという両面からのアプローチ扶正去邪が必要となるのである。
正気が充実していれば健康なのであるから「正気の充実した状態」を実証とは言わない。しかし、正気を構成する要素・機能が必要以上に溢れ過ぎて却って病気の原因となる場合、これは有余と呼ばれる病邪(健康を害するもの)であり、瀉法の適応である。
昭和漢方における「虚証体質」と「実証体質」
一般に昭和漢方で言われる「虚証・実証」は体力や抵抗力の有無といった、本来その人が持ち合わせている体質的な意味合いで用いられ、実証には主に瀉法を、虚証には主に補法を用いる、と説明されている。たしかに「虚するものはこれを補い、実するものはこれを瀉す」のではあるが、がっしりとした「実証体質」の人でも、正気が虚した「虚証」の病態では正気を補う必要があり、虚弱な「虚証体質」の人でも病邪の存在が病態の主体である場合には、邪を瀉する必要が生じる。体力・抵抗力の多寡は病態に大きな影響を与えるものではあるが、治療は本来患者の病態に応じてなされるべきものであろう。
また、昭和漢方では「虚実は患者の適応処方を見いだすものさしのひとつで、恰も一本のレールの上に乗っているようなものである。患者の状態を虚、あるいは実、あるいは虚実間というふうに捕らえるのである」とも解説され、この虚実は主に患者の体力の程度を言うとされる。しかし、病態を表す概念としての虚実の定義は先に述べたとおり、正気の多寡と、病邪との反応の有無、という二つの異なった事象を説明する概念なのであって、単に体格や体力の程度を言うものではない。
本来の病態をあらわす概念とは異なった日本独自の用法は、言語同一意味不同のため混乱を来す。この件については、平成5年日本東洋医学会総会の一般講演において、加藤−山田間に歴史的な応答が行われ、「病態生理を言う場合には虚実の定義は内経の定義が正しい。虚実を体力の有無としたのは、今の若い人達に漢方を分かりやすく解説するために『体気』を『体力』と読み替えたものである。」との山田氏の追加発言があり、すでに学会レベルにおいては決着している問題でもある。
昭和漢方の虚証・実証は病態ではなく体力・体質を論じるものであるから「虚証体質、実証体質」と読み変えて理解する必要がある。
2 陰陽:「陰陽」は東洋思想の根本であり、医学の根底をなす理論である。 (go index)
古典的な中国人の宇宙観は、「太極」から始まる。
すべての始原である混沌としたカオスの状態(太極)から陰・陽が生じ、すべての物質およびその活動はこの「陰陽」から生み出される。即ち、森羅万象を司る根本のエネルギー(太極)は、陰陽としてあらゆる存在の中に本質的に宿っているのである。この「森羅万象を存在せしめている根元的なエネルギー」が広義の「気」である。
宇宙の成り立ちから、この世のあらゆる存在は「陰陽」をその基とするのである。
陰・陽は相対的な性質を有し、相対的な関係を保っているとされている。
陰陽の相対的性質
「陰」は、静的、物質的、受動的、温度が低い、暗い、などの性質を表現する。
「陽」は、動的、活動的、能動的、温度が高い、明るいなどの性質を表現する。
陰陽の相対関係
陰陽可分:すべての事物は陰と陽の属性に分かれる。
陰陽互根:「陽は陰に根ざし、陰は陽に根ざす。」
「陰と陽は分かつべくして離すべからず。」
陰陽制約:正常状態では陰と陽は生理的範囲内で平衡しつつ変動している。
(「陰陽消長」)
「陰極まれば陽生ず。陽極まれば陰生ず。」
自然現象の素朴な観察から、陰陽思想のヒントが得られそうである。
例:木を燃やすと火になり、熱を作り出す。熱は水を水蒸気に変え、水蒸気から熱を奪うと(冷やすと)また水に戻る。火は水を蒸発させるが、大量の水は逆に火を消すことができる。太陽の光が当たると暖かくなる(陽)。日陰にいると寒くなる(陰)。昼間は暖かいが(陽)夜になると気温が低下する(陰)。昼夜は絶えず一定の規則性をもって交代するが、どちらか一方しか存在しないということはなく必ずペアーである。
このような、素朴な自然観察から古代人は陰陽思想を発展させて来たのであろうか。
この「宇宙はすべて陰陽から成り立ち、陰陽の調和によって維持されている」という思考方法は、医学に限らず幅広く応用可能である。
ひとまず、医学を離れて「量子力学」を陰陽論で考えて見よう。
今日、物質は究極的にはエネルギーである、と言う相対性理論が認容されており、この理論によって原子爆弾や原子力発電などが実用化されている。
物質を分子レベルで観察すると常に微細な運動をしている事が知られている(ブラウン運動)。微粒子のレベルに分解してみると、電子は原子核の回りを止まる事なく周回運動しているそうである。さらに細かく、素粒子レベルまで解析して行くと、質量を持ち、存在していたはずの物質が、最終的には単なる波動あるいはエネルギーとしてのみ観察されるようになると言われている。
また、「ビッグバン理論」によれば、物質はぎゅうぎゅう詰めになって一定の臨界を越えると、爆発して巨大なエネルギーになる。
エネルギーはそれのみで存在することは出来ず、引力、電気、磁気などいずれも物質が場に及ぼす歪みとしてしか存在しない。また、「エネルギーを蓄える」事は具体的には「エネルギー状態の高い物質を保持する」事に外ならない。
一方物質はエネルギーが一定に保たれて初めて安定した存在となるのであって、エネルギーゼロの状態では物質は存在できない。
すなわち、究極的にはこの宇宙はエネルギーで構成されており、何らかの原理原則に従ってエネルギーが物質化しているのであるが、エネルギーと物質とが相互に依存しあって初めてその存在が保たれている、ということのようである。
以上の理論は陰陽論の認識に近しいものである。陰陽論的に考えると、物質は「陰」に属し、エネルギーは「陽」に属する(陰陽可分)。陽の気(エネルギー)が凝集することによって物質(陰)が誕生し、逆に物質(陰)は分解するにしても、凝集するにしても最終的にはエネルギー状態(陽)となる(陰陽互根)。エネルギー(陽)はエネルギーのみで存在することは出来ず、常に物質(陰)に依存して存在するが、逆に陰(物質)も陽(エネルギー)の支援を受けねばその存在を維持することができない。(陰陽制約)
このように近代量子力学の成果は陰陽論の思想に矛盾しないのである。
量子力学の分野にも通用し得る概念であるということは、陰陽論なるものは、実はこの宇宙の根本的な原理・原則を的確に表現したものなのかもしれない。
ノーベル賞物理学者であるニールス・ボーアは彼の量子力学理論がほとんど完成したころ中国を訪れ、「易」の理論に彼の理論との相似性を見いだし、彼の理論の正しいことを確信したそうである。彼の紋章は「太極図」をモチーフにしたものなのである。
日本人ノーベル賞物理学者の湯川秀樹氏もその思想形成には老荘思想が大きく関与していた(「老荘的思想の現代性」)とのことである。
このように、あらゆる事物は属性の異なる陰・陽二者に分類することができ、夫々の相互関連のなかで初めて存在する、と言う考え方は、普遍的な事象に応用可能なものであると考えられる。ここで話題を医学に戻す。
宇宙が陰陽から成り立つように、人体も陰陽から構成される。この意味において人体はそのまま一つの小宇宙であると言えよう。(天人合一)
人体は「気・火」(陽)および「津液・血」(陰)から成る。「陰分」である津液・血はいずれも「陽分」である気のエネルギーによって機能を発揮する。そして「火」が人体を正常の体温に暖め、維持する。このように気・火(陽)と津液・血(陰)が円滑に働くこと(陰陽平衡)が、健康体−陰陽調和した整体−を維持する条件なのである。
「病的状態」とは、陽(気・火)、陰(血・津液)のいずれかあるいは複数が機能失調に陥り、陰陽のバランスが崩れた状態(陰陽失調)なのである。
生理的平衡状態(陰陽調和)を撹乱する条件が病因(内因・外因・不内外因の三因)であり、正気と病邪との相対的関係(虚実)が結果として「陰陽失調」を来すのである。この場合病邪の性質が陰的であるか陽的であるかによって陰邪・陽邪と言われる。また、引き起こされた症候の性質が陽的であるか陰的であるかによって陽証・陰証と呼ばれる。さらに、危篤状態に陥った場合も亡陰・亡陽といった表現がなされる。
陰陽失調が身体のどの部位で起こっているかを弁別するには臓腑・経絡の概念を用いる。また、病の進行とともに特徴的な変化をたどることが知られている疾患では、進行経過についての知識(「傷寒六経」「温病」など)の応用が有意義である。
いずれの場合においても、物質的、静的なもの、エネルギー状態の低いもの(陰)と、機能的、動的なもの、エネルギー状態の高いもの(陽)とを鑑別し、陰の部分がどのようであるか(虚しているのか実しているのか)、陽の部分がどのようであるか、また陰陽の相対的関係においてそのバランスはどうなのかを考えるのである。
医学における陰陽の相互関連は、
陰陽可分:すべての事物は陰と陽の属性に分かれる。
陰陽互根:「陽は陰に根ざし、陰は陽に根ざす。」
「陰と陽は分かつべくして離すべからず。」』
陰陽制約:陰陽消長(正常な状態において陰と陽は生理的範囲内で平衡しつつ変動し ている。)
陰陽失調(疾病を発生する根本原因。生体内の正常な相対的平衡が破壊
されて自己調整ができなくなること。)
陰陽転化:疾病の経過において陰証と陽証が相互に転化すること。
(熱証・寒証、実証・虚証、虚証・実証など)
などと表現される。
この陰陽の相互関連の思想は歴史的に五行論の思想を取り入れ、展開した。
西洋医学におけるホルモンのフィードバックや、自律神経系の制御、あるいは消化性潰瘍における攻撃因子と防御因子の関連などの発想は、陰陽の相対関係論と相通じるものであろう。使用している用語は異なるものの、複数の因子が相互作用することによって生命を維持しているという概念は生体の生理を理解・説明するのに有用なものである。
陰・陽の正気がお互いに虚していながら、一方がさらに虚することを偏衰と呼ぶ。この場合もう一方は本来虚しているにもかかわらず相対的位置関係から実しているような病態を呈することがある(陰虚陽亢による虚熱)。このような「陰陽の相互関連」という概念の実際の臨床応用について症例を提示する。
虚実・陰陽の概念の応用が奏功した症例
症例:心臓手術(右心房内脂肪腫)十日後の乾性咳嗽(心不全なし)を主訴とし、
苛々不眠・便秘・微熱・皮膚乾燥・口渇・のぼせ感に鎮咳薬や加味逍遥散で
改善しない例。手足の冷えあり。
この症例では、まず、全身状態としては開心術後で体力消耗しており、本
来持ち合わせている正気が衰えている状態すなわち虚証(正気の虚)が根底
に存在している。
「正気の虚」の状態での皮膚や舌の乾燥は津液不足(陰分の虚:陰虚)に
よるもので、微熱は陰虚によって陰分による陽気の制約が衰えたための陰虚
陽亢による「虚熱」と考えられる。同時にこの症例では手足の冷えが存在す
ることより、陽気の温煦作用が衰えた「陽虚」の状態も合併している。
すなわち、全体としては正気が損耗した「陰陽両虚」の状態でありながら、
そのなかでも陰分が相対的にさらに虚している(偏衰)がゆえの陽分の相対
的亢進による「虚熱(虚火)」ということになる。
この虚熱(虚火)のため、もともと虚している陰分がさらに乾かされ、枯
燥便秘となり、虚火の上炎による不眠がもたらされ、肺においては乾燥性咳
嗽を引き起こしたものと考えられる。
虚熱(虚火)は陰虚が本質であるから治療としては単純な瀉火清熱の方法
を用いることはできず、陰液の不足を補うべきであり、「滋陰降火」あるい
は「育陰濳陽」などの方法を使用して陽分の相対的亢進を制約することを主
眼にした治療を行うことになる。
この症例では滋陰清熱・止咳化痰の効能を持つ「滋陰降火湯」を選択し、
投与開始 2日目より咳嗽は著明に改善、同時に微熱、不眠、便秘も改善した。
この後14日目に休薬、退院となった。 (文献3より抄録)
咳、微熱、便秘、不眠、苛々などの症状は西洋医学的に見ると一見別々に独立したもののようである。しかしながら、陰陽の概念を応用し、病因・病機を詳らかにすることによって、これら諸症状の根底に横たわっている生体のバランスの歪みを見いだし、適切な治療を行うことによって諸症状を一気に改善させ得る場合があるのである。
『黄帝内経』は漢時代に成立したとされる医学文献である。「難経」「傷寒論・金匱要略」などの古典は、すべて後漢以降に、黄帝内経の内容を踏まえて著述されている。黄帝内経は東洋医学基礎理論における最も主要な教典であると言えよう。
黄帝内経は一朝にしてなったものではなく、一連の論文集的な性格をもっている。各論文の執筆・編集年代の検討によって後漢から戦国時代にいたる中国医学の形成過程、医学技術の歴史上の展開の解明を行うことが可能になる。(以下は山田慶兒氏の説に従う)
『黄帝内経』は『素問・霊枢』または『太素』という二系等のテキストによって今日に伝えられている。『素問・霊枢』には160篇の論文が現存し、いずれも伝説上の賢君「黄帝」と五人の講師との問答形式で記述されている。それぞれの応答者の名前が、時代の異なる学派を表していると想定され、その執筆年代や編集年代の考証が行われている。
黄帝内経の流派
(質問者)(応答者) (流派)
雷公 − 黄帝 「黄帝」派 最古の学派 ┐
黄帝 − 少師 「少師」派
┘ 「前漢二派」
黄帝 − 伯高 「伯高」派 ┐
黄帝 − 少兪 「少兪」派 主流派 ┤ 「後漢三派」
黄帝 − 岐伯 「岐伯」派 ┘
「前漢二派」に属する「黄帝」派と「少師」派は、理論的説明の根拠として陰陽論を採用しているが、五行説については分類概念としてのみ用いており、説明概念としては五行を用いていない。「後漢三派」になると説明原理として陰陽五行説が採用されているのである。陰陽五行説は鄒衍によって発展完備されたとなっており、陰陽五行の説を採用していない論文は鄒衍以前、紀元前4世紀頃までに成立したものと考えられている。
「黄帝」派は最古の学派とされている。『漢書』芸文志方技略医経中に、
「黄帝内経・外経37巻、扁鵲内経32巻、白氏内経36巻」
の記載があり、これら三つの学派が前漢時代の主要な学派であったと推定されている。 これらのうち白氏学派は失伝。黄帝・扁鵲二派は後漢代まで存在し、扁鵲派の業績は王叔和の脈経に受け継がれ、また黄帝学派も扁鵲学派の影響を受けたとされている。
「後漢三派」をさらに細分類すると、「伯高」派は新代、「少兪」派および「岐伯」派が後漢の成立であろうと推定されている。「伯高」派の論文には生命維持についての生理学的記載や解剖についての記事が認められる。霊枢・骨度篇の腸胃論及び平人絶穀篇には詳細な人体解剖の量的記載がなされているが、これは漢書王莽伝(天文16年)の記載と一致している。解剖生理に関する論文はすべて「伯高」派の論文である。以上より「伯高」派は王莽の時代に勢力を奮い、王莽とともに没落したsub groupであったろうと推測される。すると「伯高」派の活躍した時代は西暦±0〜+23と決定されるのである。
このように整理して行くと、黄帝内経は漢時代前後を中心に編纂された医学研究論文集であって、中国伝統医学の歴史的形成過程が示されたものであることが理解できる。
黄帝内経は東洋医学基礎理論の重要な古典である。しかし、記載された内容には歴史的変遷や著者の違いによる相違があるので、すべてを真実として鵜呑みにするのではなく、その成立過程を勘案した取り扱いが必要であろう。
Z 傷寒論の時代的変遷について:逸文・引用文からみた傷寒論各篇の各古典との関係 (go index)
宋板傷寒論 脉經 千金方 千金翼方 外台秘要方 太平聖恵方
(280頃) (655頃) (685頃) (753) (992)
辨脉法 巻一・七 巻一 巻八
平脉法 巻一・三・四・五 (巻二八)
傷寒例 (巻九)
巻一 巻八
^湿`篇 巻八 巻九
巻八
三陰三陽篇 巻九・十 巻一(傷寒日数) 巻八
可不可篇 巻七 巻九 巻十 巻八
霍乱病篇 巻八 巻十 巻六
陰陽易差後勞復病篇 巻六 巻十 巻八
傷寒論は漢時代に成立したとされる古典であるが、文献考証が十分になされていないため、宋以降、宋板を恣意的に改編したテキストがまかり通っている。これを古典・聖典と崇めて勉強しても何がなんだかよく分からない。よく分からないものだからこれはもう暗記するしかない(本来医学は理屈・道理を考える学問なのであるが)と思考を放棄してしまう。あるいは自分に都合の良い文章だけを抽出して「これこそが医聖の書いた傷寒論の正文である」とさらに改編を重ねて独自のテキストを作り上げるなど、かなりへんてこりんな発展を13世紀以降遂げてきたと言う歴史がある。
古典本来の姿を再現するには、各種古文献に引用された逸文を比較検討する作業が必要である。中国では度重なる戦乱・革命の為に古文献が失われてしまい、古代の姿を伝える文献はむしろ日本に残っていた。重文・国宝として管理されていたこれらの古文献が影印本として容易に利用できる環境が最近整ってきた。これらによって10世紀以前の原型に溯り得る糸口ができたのではないか、と言うのがここ数年のトピックである。
表に宋板傷寒論を構成する各篇のうちどのようなものが引用されているかを示した。
表に示すように各篇を構成する条文が引用された文献の成立した時代や順番から考えると、宋板傷寒論を構成する章篇のうち、可不可・辨脉・平脈篇などは三陰三陽篇よりも古いこと、すなわち傷寒論の原型は可不可篇のような構成であったことが推定される。
傷寒三陰三陽の病態概念も、素問熱論傷寒候あるいは諸病源候論傷寒候と思想を同じくするもの(千金翼方・外臺秘要・太平聖恵方などの宋以前のテキスト)と、素問とは一見異なる病態概念・治療原則を主張するもの(注解傷寒論以降)があり、歴史的な時代のながれにそった比較検討を行った上での解釈が必要である。
また、巻次構成内容からは太平聖恵方巻八には現行宋板傷寒論を構成する各篇が揃っており、宋板編集の種本であったこと、すなわち林億らが宋臣序で述べている「高継沖」本である可能性が示唆されると考えられ、今後の検討課題である。
湯液(漢方薬)・鍼灸などを用いることが即ち東洋医学的治療なのではない。
病は陰陽の乱れから起こる、と東洋医学では考えると論述した。
すなわち、正気の虚(虚)あるいは虚に乗じて生じた病邪の存在(実)が心身の調和を乱すこと(陰陽失調)によって病気が成立するのである。
東洋医学的な治療とは、虚している正気を補い、病気をもたらしている邪を取り去る(扶正去邪)ことによって心身のバランスを回復すること(陰陽調和)なのである。
このような、全体を相互関連の中で有機的に把握し、対処するという東洋医学的な発想方法は、医療においては洋の東西を問わず、指導理念として有用である。
東洋医学は全体的な指導理念としては優れているが、局所的・質的診断においては西洋医学の方法論が優れている場合が多い。古典的な四診のみで病態のすべてを把握することはそもそも不可能であろう。むしろ、診断において、より精密な技術方法論を有する西洋医学の土俵においてこそ東洋医学の全体観的な病態生理の考え方はその有効性を発揮する可能性があるのではなかろうか。治療哲学としての東洋医学は、指導理念としては西洋医学的方法論をも駆使し得るものなのである。
東洋医学的思考法に立脚した治療は、その手段の如何を問わず東洋医学的治療と呼ぶことができよう。逆に、例え漢方薬を用いたとしても、その治療選択に至った筋道が西洋医学的思考によっているならば、それは単に“One of the useful drugs”
としての漢方を選択したに過ぎない。
西洋医学の治療現場に治療薬としての漢方薬を持ち込むことも意義のあることではあるが、東洋医学の哲学・生命や疾病に対する考え方を応用することがより重要課題であろう。
単に湯液や針灸を用いることのみが東洋医学的治療なのではない。ましてや「何々湯の証は云々」と条文や口訣(口伝の処方運用の秘訣)を丸暗記することが東洋医学ではない。漢方薬の使い方に習熟することはもちろん大切なことではあるが、これだけでは単なる「漢方薬使い」なのであって、あくまで技術論の範疇を出ない。また、漢方薬や針灸を十分に駆使し得る医療の場が皆無である現状において、古典的・伝統的な方法論のみに固執することは、実用性の点で困難を伴う。
このような状況において、現代の日本の医療社会において東洋医学の果たすべき役割を考えると、漢方薬や針灸を手段として用いることのみに拘泥することなく、東洋医学の根底に流れている思想を理解し、個々の立場に応じてその実践活動を展開することが現代に生きる我々の東洋医学的治療ということになるのではなかろうか。
本文中で引用したもの
(1) 日本TCM 研究所:「中国伝統医学の特色」.Japanese Journal of
TCM.1991;1:4-6.
(2) 安井広迪:「漢方各家学説概説」.Japanese
Journal of TCM.1991;1:8-15.
(3) 北里勝史,牧角和宏:「開心術後の難治性咳嗽に滋陰降火湯が有効であった症例」.
現代医療学.1993;7(3):363-367.
(4) 飯島寛実:「仏教ヨーガ入門」.日貿出版社,東京,1973,pp85-117.
(5) 津村 喬:「気功への道」.創元社,大阪,1990,pp16-17,pp51-52.
(6) 朱 宗元:「陰陽五行学説入門」.谷口書店,東京,1990,pp31.
漢方医学全般の理解にやくだつもの
安井広迪:「医学生のための漢方医学 入門の手引き」日本TCM研究所,1995.
吉元昭治:「不老長寿100の知恵」.KKベストセラーズ,東京,1995.
石田秀実:「風の病因論から運気論へ」.東京中医学報.No5,1994(4),pp30-56.
石田秀実:「こころとからだ-中国古代における身体の思想」.中国書店,福岡,1995.
石田秀実:「中国医学思想史」.東京大学出版会,東京,1992.
真柳 誠:「本草と古方の世界」.東京中医学報.No8,1995(10),pp1-15.
小曽戸洋:「中国医学古典と日本」.塙書房,東京,1996.
加納嘉光:「中国医学の誕生」.東京大学出版会,東京,1987.
山田慶兒:「中国医学の思想風土」.潮出版社,東京,1995.
丸山敏秋:「黄帝内経と中国古代医学」.東京美術,東京,1988.
矢数道明:「近世漢方医学史」.名著出版,東京,1982.
根本光人:「陰陽五行説」.薬業時報社,東京,1991.
原田康治:「臨床応用素問・霊枢」.緑書房,東京,1996.
古典のテキストおよび参考書
素問・霊枢:日本経絡学会,東京,1992.(最善本の影印本)
柴崎保三:鍼灸医学体系「黄帝内経素問・霊枢」.勇渾社,京都,1979.
石田秀実監訳:現代語訳「黄帝内経素問」.東洋学術出版社,東京,1991.
石田秀実監訳:現代語訳「黄帝内経霊枢」.東洋学術出版社,東京,2000.
宮沢正順:「素問・霊枢」.明徳出版社,東京,1994.
傷寒論・金匱要略・金匱玉函経:燎原,東京,1988.(最善本の影印本)
東洋医学善本叢書.オリエント出版,大阪
(千金翼方・太平聖恵方・諸病源候論・脉経などの最善本の影印本)
岡田研吉:「傷寒論の版本について」.東京中医学報.No6,1994(10),pp28-38.
日中傷寒論シンポジウム記念論集.中医臨床臨時増刊号,1982.
平馬直樹監修:「中医学の基礎」.東洋学術出版社,1995.
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